14. 受付ブログ⑨
遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。受付です。
今日は成人式ですね。ちなみに本日は祝日となりますが、当院は営業しております。
さて、成人の儀といえばアフリカにいるマサイ族の成人の儀があまりに有名ですね。
マサイ族の成人の儀では、百獣の王であるライオンに立ち向かい、ライオンを仕留めることで一人前の戦士として認められるそうです。
それに比較すれば、我が国の成人式は安全でよかったと思います。
しかしながら、それではわが国では人はいつ大人になるのかという疑問がわいても来ます。
民法上では18歳をもって成年とされ(4条)、様々な権利能力が認められると同時に未成年者に対する権利の保護も失われます。
17歳と364日59分59秒の時間の自分と18歳0時間0分0秒の自分の精神は連続しているのにも関わらず、法律上の扱いは一気に子供から大人へと変わるのです。
不思議な感覚ですね。
ただ、法律上の扱いが変わったとしても、上述の通り私たちの精神は連続しており、いきなり大人になるわけではありません。
いったい何があったときに私たちは大人になるのか、明確なイベントによるのか、それとも気が付いたらなっているのか、それとも最後まで子供と大人の境界はあいまいなのか
なかなか難しいところです。
この点でいえば、一人で百獣の王を討ち取るという経験は、明らかに子供から大人への精神の変容という効果をもたらすのかもしれません。
マサイ族においては、子供の世界と大人の世界の断絶が、そこにはっきりと存在するのでしょう。
しかしながら、ライオンを倒すにしても一朝一夕で倒せるわけではありません。そこに至るまでに不断の努力があります。
そう考えると、大人になるというのは、子供のころに積み上げた努力の集大成、結実といえるのかもしれません。
子供と大人という世界と同様に、各資格職に関しても、試験合格前と後では明確な違いが存在しています。
早く合格して後者の世界にいかなければなりません。そのためには、今日も「成長」しなければなりません。
「成長」しなければ「栄光」をつかめないのです。「勉強する」「勉強する」と言っているだけではだめなのです。「勉強した」なら使ってよいのです。
「勉強する」と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!
とはいえ、頑張りすぎて身体を壊しては元も子もないので、皆様もどうか無理をなさらないようにお願いいたします。
それではまた。
